2004.06.10

リアルワールドの知識人の参入とパラダイムシフト

これまでサブカル的に扱われがちだったネットの世界とリアルの社会との垣根を低くできる。そうなれば、ネットの世界とリアルの社会の間でポジティブな相乗効果を期待できるんじゃないかと夢想しているのです。

木村さんならきっと一定以上の動きをもたらすことができると思います。

これまでインターネットでは技術系の知識人が目立っていたと勝手に感じています。
実際には他分野の知識人も情報発信はしていましたが、私のような技術オタにはなかなかその情報に触れる機会が無かったのです。私がまさか木村剛さんという人について興味を持つとはって感じです^^;。

これは blog ならではだったと言えるかもしれません。blog ではカテゴリごちゃまぜの新着リストがあったり、分野を問わずに話題が伝搬していく性質があり、興味の中心に無い話題が目に入る機会が個人的には過去より増大している気がしています。技術に疎い他分野の知識人も情報発信がしやすくなったということももちろんあると思います。

この段階でネット界隈では動きが既に出てきているわけですが、まだリアルワールドに働きかけるには到っていないのが現状。そこを変えようというのが木村さんの野望です。この変化には仮想世界での有名人の力だけではどうにもならない壁があります。また、リアルワールドの有名人が働きかけたとしても、一時的なニュースで終りがちです。
これが実現されるためのキーワードは「継続」、そしてそれが当たり前と世の中に認識させることなのだと思います。

そんなことができる人間はそうそういません。木村さんといえどもとんでもなく難しいことと思います。
しかし、今の木村さんのモチベーションを見ていると、期待させられますよね。万が一尻すぼみになったとしても、大いなる挑戦であったとして将来の糧になります。「無駄なことを」とか「もっと他にできることがあるだろう」みたいな政治批判みたいな批判も出るかもしれませんが、今木村さんがやりたいと思っていることを邪魔することに意義がない、と私は思います。

やりたいと思っていることをやる時が一番効率良く成果が出せるものです。邪魔が入らず、気持ちよく続いていくことを願います。

ところで、木村さんの blog にかけているコストは相当なものと思います。「投げ銭」くらいは導入してもバチは当たらないのではないか?と思ったりしますです。木村さんの所なら相当フィードバックがありそう^^;。
もしそれがまた成果が出るようなら、今度は blog ビジネルモデルの一つの好例として語り継がれるだろうな、なんてことも。


あと、関連して思っているのはテレビの CM は話題になるのに Web 上の CM が話題になることは極めて少ないこと。
テレビの CM はスイッチを入れさえすれば強制的に見せられることに視聴者の方が慣れているが、Web の広告は能動的に見ようとしないと見れない。そして、テレビの CM のように広告費を投入していないからでしょうけれど、CM そのものが話題になるようなインパクトのあるものが作られない、作っても関心を持った人にしか見てもらえない。
興味の無いことでも目に入っているうちに興味が出てくるというのがプロモーションの鍵でしょうけれど、Web 広告はまだそのあたりを解決できていないと思うわけです。

目ざわりでない程度に関心事と無関係な情報が流れ、それを読み流しているうちに、ふと興味を持つ、という流れが blog に期待できるかもしれないな、と思ったりします。

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2004.05.20

blog は知人と一緒に始めることをお薦めする

ゆるネタ。blog 初心者というか、blog を始めるかどうか迷っている方向け記事です。weblog = web 上の log ってことでここでは web 日記も含まれます。
web 日記を長続きさせる一般的なコツは、なんといってもリピーターの存在です。独り言を3ヶ月続けられる人はほとんどいません。ちょっと面白いことが書ける方は、割と早くから bookmark して購読してくださる方が現れたりもしますが、そういった方の存在を実感できないでいると、結局著者にとっては独り言と同じなわけです。

今時の web 日記ツールはコメント機能が大抵あるので、「読者」の存在を実感しやすいのですが、大抵の人はWeb では共感を探しているのであってコミュニケーションを探しているのではないわけで、読者だからといってコメントを付けてくれるわけではありません。

コメントなどの直接的な反応がなくても「見てくれている」と実感できる人は良いのですが、そうでない方がいわゆる三日坊主型にはまりやすい方ではないかと思います。

そして、記事内容が割と普通の日記系でも始めた当初からスムーズに続く気配を持っている blog/日記の比較的多くには特徴があります。blog/日記を始める以前からの知人を最初から固定読者として引き込んでいることです。

日本に特有かどうかは解りませんが、blog 上での「初めまして」コメントから始まるコミュニケーションは、実は blog を継続するモチベーションとしては弱いと思っています。それと比較すると、既に気心の知れた知人からのツッコミは、新たなネタを出してやろうというモチベーションに強く作用を及ぼす、とも。

その知人と同時に始めていたりすると、お互いに対する刺激が相乗効果となってさらに続け易くなりますよ~。

続ける自信がないという方、どうぞお友達と一緒に始めましょう~。と、言ってみるテスト。
あ、別に全然始めなきゃいけない必然性なんて無いんですが^^;。始めてみたいと思っているのに不安という方は、是非参考にしてみてくださいませってことで。

この場合に当然懸念されるのは、激しく馴れ合いの場になってしまっていると「初めまして」という反応が減ってしまう可能性ですが、あまりにも内輪過ぎるネタばかりでない限りは割と興味を持って見てくれる人はいますし、逆に気楽にコメントしていいんだという気にさせるという効果もあるので、あまり気にしなくてよいと思います。

さて、私はと言うと…こちらで書いたようにココログオープンを契機に二人ほど同時期に始めた知人がいます。インターポットでの知人だったわけですが。ネタと文章力/人柄の性質上^^;;、私のところにはさしてコメント付かないですが、知人のところは賑やかで楽しげですし、なんといっても私も含めて予想以上に続いています^^;。

(追記)リンク元より。

なるほど。となると mixi は丁度良いのかな。


おぉ、そういえば巷の social network うんたらは必然的にそうなるわけだからそういう面ではいいですねぇ。

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2004.05.15

インターネット知:文脈が読み取れなくなる人々

川俣晶さんの日記より。

インターネット上で、文脈(コンテキスト)をロストしているように見える論客の横行。
 一例: Winny事件に関して、包丁が人を殺せるからと言って規制するのはおかしい、というような文脈をロストした主張があちこちに見られる。

そぅそぅ。これが

議論の流れで不当に不利な状況になるケースでは、ほとんどの場合「味方が敵」になっている

の原因の一つ。もう一つは、相手へのレッテル、根本は同じかもしれないですけど^^;。

インターネット知という問題
 インターネット上の情報のみに依存する知の在り方を「インターネット知」と呼ぶなら、これには構造的な欠陥があるのではないか?
 また、多くの人達が、その欠陥にはまりこんでいるのではないか?

欠陥に対する無自覚性はどこにあるのか
 もし、欠陥が本当にあるとすると、多くの論客がその欠陥に無自覚であるのはなぜか?

あぅ、全文読んで欲しいので、是非リンク先へ行ってください。

リンクを飛び回ってかき集めた情報のまとまりに文脈はない。
そして、
文脈は自分で作り出すしかなく、それを正しく行える人は少ない。
と、思っております。

blog を飛び回ってると一層促進されそうな気が…。
本を読めば身に付くかしらん~。書籍だって文脈が飛びまくってるのは多いので気をつけねばですけどね^^;。


文脈病―ラカン・ベイトソン・マトゥラーナ
斎藤 環



おすすめ平均
立派
を平易な言葉で語る聡明さ
」がこのように精緻に語られたことの驚き

Amazonで詳しく見る4791758714
アソシエイトリンクにするのはちと気が引けますが、実験してみたかったもので^^;。

(追記)
インターネット知の欠陥というアイデアに関するメモ Version2
ってなわけで、「インターネット知」と「文脈病」は直結しているわけではない、との補足/ご指摘ありです。
私は斎藤環さん定義の「文脈病」を正確に把握しているわけではないので、この記事は煽りタイトルですが、「コンテキストと情報量は相容れない互いに反するもの」という部分は十分にこのケースにも当てはまっていると思いますよん。でもまぁ私も斎藤環さんの文脈を無視(よく知らず)して一部を抜き出し、強調したのはあまり良くないなぁ、と思いつつでしたが…。それはともかく、Version2 にて書き足された各文もそれぞれ頭に入れておく価値ありありと思います~。

あぁ、でも「インターネットのせいで文脈が読み取れなくなる病を文脈病と呼ぶそうです」というタイトルは確かに明らかに誤った誘導という気がしてきた…-_-。うーん、どういうタイトルにするのがいいかな…。とりあえずいくらか無難なタイトルに修正してみます^^;。

あと、自分が川俣さんの文章を読んだ上でのインターネット知、あるいは情報量増加戦略の定義の解釈を書いておきます。

これに陥った論客は、いろんな所から情報ソースを引っ張ってきて相手の説得を試みますが、それぞれのソースはそれぞれ異なるコンテキストを持っているのにそれを鑑みずに論じてしまうため、議論自体が対象としているコンテキストからずれた情報に基づく主張の比率が上がっていってしまい、詭弁と化す現象、と考えています。

インターネットだから特別に起こりやすいというわけではないと思っていますが、「インターネットだから」と言うとインパクトがある上、容易に想像しやすいことから興味深い主張であると思っています。

「インターネット知」は、「インターネットに限るわけではないが、インターネットのように細切れでばらばらの文脈を持つ情報群から自分に都合の良い情報だけを抜き出して持論に上乗せするような知識の持ち方」と定義することができそうに思います。

さらに一般化してしまうと、この辺の「情報の結びつけ方の正当性」というのは、「連想」が本質的に持っている問題であるようにも思います。これを解決/改善するために、何をすればいいでしょうねぇ…。
追記の文量が多くなったので、勝手ながら Version2 の方にもトラックバックを送りますー。タイトルも変えたし^^;;。

参考(自分の考えの補足):
Winny のようなソフトウェアを作成すれば逮捕されます
正当と不当

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2004.05.13

執筆予告をするもんじゃない

思い浮かぶネタは多々あれど、書いてる暇は無いはずなのに…ゆるいネタで。blog やってると「その件は今度書きます」とつい書いてしまうことがあると思いますが、それが実施されることは実は希です^^;。なぜなら「その件」について考えるのが億劫な時にでてくる言葉だからです。

なので、「今度書く」「いつか書く」というのは言わないほうが得策だったりします。

「いつか書きたいと思います」なら「思ってるだけで書く気は無いのね」というのが伝わるので、私はそういう表現にしようと心がけてみたり。過去に渡ってそうしてきたかは記憶が定かでないですが^^;。

ちなみに、私はそれでも言ったことに責任を持ちたいとは思っているので、上のように書いたテーマについてはちゃんと考えを認めるようにはしています。実際、予告したテーマはそこそこ書いてきていますし。おぉ、したためるってこう書くのね。漢字で書くと「用意する」といった意味より他の意味に読めそう^^;。

でも、忘れちゃってることも多々あるし、忘れてなくても、自分で「許して」という気分になってることもやはりあります。

ま、ここで改めて言わなくても、読む側もこの手の予告が守られなかったからといって糾弾するような人はほとんどいないでしょうけどね^^;。

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印刷時に読みやすくしよう

印刷した場合に多少なりとも読みやすくしようと思い立ち、昨日、以下を参考に少しだけ調整しました。
CSS: 印刷用スタイルシートのススメ

具体的にはサイドバーとコメントフォームを非表示にし、フォントサイズを 10pt 固定の明朝体にしたくらいです。
こんな感じにしました。

@media screen {
    body {
        font-size: small;
    }
    .s {
        color: #669966;
        font-size: x-small;
    }
}
@media print {
    body {
        font-family: "細明朝体", "MS P明朝", serif;
        font-size: 10pt;
    }
    .s {
        color: #669966;
        font-size: 8pt;
    }
    form {
        display: none;
    }
}
@media screen {
    #left {
        float: left;
        width: 24%;
        overflow: hidden;
    }
    #right {
        float: right;
        width: 24%;
        overflow: hidden;
    }
    #center {
        float: left;
        width: 50%;
        border-left: 1px solid #000066;
        border-right: 1px solid #000066;
        overflow: hidden;
    }
}
@media print {
    #left {
        display: none;
    }
    #right {
        display: none;
    }
    #center {
        width: 100%;
        overflow: hidden;
    }
}

全体はこちらです。

もしよろしければ印刷プレビューでも見てやってください。そんなに奇麗にしたわけではないですが、screen 用スタイルそのままよりはマシかな^^;。なんだか IE の印刷プレビューだと表示直後は真っ白になるな…倍率変えると表示されるけど。実際に印刷して試さないとだめかな^^;。どうやらレンダリングが遅いだけみたいです。

なぜこれをしようと思い立ったかと言いますと、木村剛さんのこの辺を以前見た時から少しだけ引っかかっていたからです。

 というのは、気に入ったトラックバックはプリントアウトしてじっくり読むようにしているんですが、なぜだか分からないんですが、ココログではないブログの場合、私のコンピューターでは、本文が印字されないことがあるのです。

いやぁ、最近影響されてきてます^^;;。以前から印刷して読みやすいとは思ってなかったですが、どれくらいの人が印刷するかなぁ、とも思ってたわけですが。私がどうかはともかく、木村さんの記事にトラックバックをよくしている皆さんは、木村さんに読んでいただくためにやってみては?^^; という意味も込めてトラックバックしておきます。

(追記)
結局上記からさらにいじくって、記事だけを出力するようにしました。CSS 全体の方でチェックしてみてください_o_。テンプレートをいじって印刷時に出したくない部分は div class="neverPrint" にする、など。ついでに月別アーカイブを記述順に並べるようにしました(※)。これで、月別アーカイブを印刷するとなかなかよさげな感じになりそうです。
記事単位の改ページも入れようと思ったんですが、widows/orphans が全然サポートされてないので、奇麗に切るのが難しいのでやめました。

※date-based-archive テンプレートの MTEntries 要素を <MTEntries sort_order="ascend"> のようにします。

…5月いっぱいでココログプロをやめる予定なのにやけに逃避を-_-。一月くらい伸ばしてもいいか…^^;。

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2004.05.12

リンクは「ここにあるよ」と言っているだけ

うわっ。興味を持ってみているだけに見過ごせない^^;。きっとたくさん同様の突っ込みが入ると思うけど。

ここで悩ましいのは、ネット上における「リンク」と「転載」の違いです。おそらく「リンク」というのは、出版物で言えば、「○○参照のこと」という参照文献の明示ということにあたるのでしょうが、ネットの場合ワンクリックでそこに飛んでいくことができてしまいます。つまり、現実的には「転載」していることと同じ行為(「転載」≒「リンク」)なんです。

「つまり」の先へのつながりが無根拠でぶっ飛びすぎてますー。ワンクリックで飛んだって言ったって、「あそこにあるよ」って指差したところへ行っただけみたいなものなんですから、まったく転載にはあたらないですし、当然「引用」よりもさらに軽い意識でよいと思います。木村さんの考えの背景としては、自サイト内リンクとサイト外リンクが、文章だけ見ていると区別が付きにくいといったあたりが関連しそうですが、web においては、URL が「その文書が属しているのがどこ」であるかを明確に示しており、それが著作者を示す第一の指針であることは既に共通認識と思います。アドレスバー重要。

木村さんがこの記事で言わんとしていることは、「出版にあたって読者の意見もたくさん掲載したい」そして、「出版物は、週刊!木村剛に記した内容をベースにしたい」ということと思っています。出版物では「リンク」が張れませんしね。

そのために、「引用」の範疇を超えた「転載」に近い他の blog 記事の掲載をみんなに何とか了承してほしい、ということと思いますが、そのことを明示して、あとは先日津村さんの記事に対して行ったように、「準転載」であることを断って実行してしまえばよいと思います。クレームが来たら直します、ということで。
だから当然「リンク≒引用≒転載」などという必要はないわけですが、例によってこういった反応を引き出すためのツッコマビリティ(≒釣り)なんでしょうねぇ^^;。

「準転載」はトラックバックを送られた記事に限定し(当然、引用はどれに対してもかまわない)、週刊!木村剛へトラックバックするということは、将来の出版にあたってその記事の比較的多くの部分を転載する可能性があることを断っておくのがよいのではないでしょうか。また、準転載を行使するのは特定の趣旨の記事に限定(既に明言されていますが、「BLOG of the Week」のことですね)し、読者に自分の記事が準転載されたかを見つけやすくする必要もあると思います。

他の blog の意見も出版に含めたい場合の指針のひとつとして、似て非なるものですが関連することとして、枡野浩一さんの枡野浩一のかんたん短歌blog: 短歌投稿のお約束のように、(特定記事に)トラックバックしていただいた記事内容の著作権を譲渡することを読者に約束させる、といった話題がありました。この件の場合は短歌ですからどう考えても引用と言うのははばかられますもんね。

あ、ちなみに私の場合、出展さえ明示していただけましたら、引用の量はまったく気にしないですー。

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2004.05.08

実名/顕名/匿名の得失

批判/中傷関連のテーマが書きかけのままですが、津村さんの記事を木村剛さんが紹介する形でネタふりされたのをきっかけに、元々書きたかった表題の整理をしてみようと思います。整理といっても思いつくまま特徴を書きつらねているだけですが_o_。そういう意味でほとんどの場合に様々なソースにあたって記事を書かれるお二方には感服します。

(追記)Books by 麻弥~ News Collector ~Old 00000028~で紹介いただいている麻弥さんは「筆名」という用語を使われています。私はこの記事で「顕名」と表記していますが、この用語は「匿名でないもの」位の意味であり、本当は実名も含まれるので、筆名と記すべきだったかな、と思っております_o_。

実名(捨てることのできないアイデンティティ)

  • リアルでの評価に直結する
  • リアルでの評価がネットにフィードバックする(集客力などの面で)
  • 会話相手に安心感を与える
  • 情報の出力に規制がかかってしまう
  • 意見の表明に自制がかかってしまう
  • 追い込まれると黙るか壊れる(キレる)傾向 → いずれにせよあとに響く(ほんとは謝ればいいだけだけど)
  • 様々なレッテル被害を受ける
  • 自分が実名であるが故、匿名者を特にレッテル視する傾向
  • 品性を過剰に問われる
  • (追加)細かい部分まで主張し辛くなる(余計な揚げ足取りを避ける心情)
  • (追加)恥をかくことへの恐れからの労力負担(慎重にならざるをえない傾向)

顕名(いわゆる固定ハンドルと思ってください)

  • ネット上だけでの知名度で、自己顕示欲を満たすことができる
  • 大抵のことは言うことができる
  • 人格を詐称することができる
  • いざという時にリアルのアイデンティティに結びつけることができる
    • ネットのアイデンティティが評価されていたら、それをうまく結びつけることで特定のリアルの交渉ごとを有利にすることができる
    • ネットのアイデンティティそのものに対してオファーが来ることがある
  • いざという時に捨てることができる
    (そのネットでのアイデンティティが捨ててよいアイデンティティであれば)
  • 得体の知れない人というレッテル被害を受ける

匿名(その意見だけ)

とりあえずこんなもんで。書き足したり配置など調整するかもしれませんです(特に匿名の特徴は全然書き足りてないです_o_)。

ま、つまりは顕名というのは最もお得、言い替えれば卑怯な手段かもしれませんね^^;。どの手段にしても実際に得するかどうかは個人の資質次第なんですけどね。生産的なことを何もするつもりがない人にとっては匿名が最もお得でしょう。逆に言うと、実名でネット活動を行おうという場合は、大抵は自分が信じる生産的な何かをやろうとしています。確信犯(※)となる場合もありますが:p
※受け入れられるかどうかはわからないという意味ですね。
根本的には、実名の特徴に挙げたとおり、リアルでの影響力を上げたい場合か、リアルでの影響力を持ち込みたい場合、ということになり、それをやっかむ人がいて、そういう人が実名という行為自体を理由に攻撃するケースも多く、そしてそれは中傷と判断されることも多かったりするんですが。そういうのは感性の違いなんだからいぃじゃなぁ~ぃ?(by 波田陽区…ではないな。残念っ!)とか思う。


あ、自分の立場ですが、私は本名同然です。一応本名は木下信といいます。当初はちょっとした引っかかりがあって(実は今もあるのですが^^;)、ここから自身の web ページへ辿れないようにしたりしていたのですが、そろそろ自ドメイン上にサーバ引っ越しも考えていたりするので、いずれにせよリアルのアイデンティティに結びつくようになります。いくつかの関係者の方にすみませんしないといけない(と思っているだけで実行できていない)ことがあるのですが…^^;
(追記)本名はまぁ、お二方に対する敬意みたいなものとして書きましたが、私個人の感性としては、名を明かすかどうかはどうでもいいと思っています。実名の所に書いた「匿名者を特にレッテル視」することを嫌う立場です。もちろんいわゆる実名派の方が匿名について述べる時、常にレッテル視しているとは思っていないのですが、「匿名」と一般化して語る時に得てして「レッテル視」と読まれてしまうことを危惧はします。もっと言うと、こちらが実名でなければ主張を丸ごと無視するような人は願い下げですので、実名は知りたければ調べれば解る、程度にしか出さないと思います。


さて、今さらこういった整理をしようと思ったきっかけは、実は以前津村さんの記事の中に興味深いことが書かれていたからでして。あまり具体的事象と結びつけられたくないとのことでしたので、場所も特定せず引用ではなく要約にて。

実名と匿名の議論においては、一見互いが誠実に対応していたように見えて、実名側が非を認めざるを得ない場面で突如「匿名が相手だから」という理由を後付けして議論を打ち切ろうとする=実名側が不誠実な対応をすることがある。

という話です。つまり、実名側の方に逃げ道を与えてしまっているから匿名は損である、と。大変興味深いですね。ここで実名側は弱者と考えることができます。そして、この構図は弱者に与えられる権利の濫用に他ならないと思います。

このようなことが実際に起こった場合、ほとんどの場合はそれを見た人は「(実名側が)議論に負けて逃げた」という印象を持つと思うので、現実には実名に有利なことはほとんどないわけですが、そんなことはしていなくても、あとに述べるように中傷やずれた論点を無視しただけで「議論に負けて逃げた」と思ってしまう人も世の中には結構な数いてしまうのが厄介ですね。批判と中傷の区別、あるいは「論点」を見定めることができない人。私は今はそういうのは「勝手に思っておいて」で済ませますけど。

他にも断片的に気になっていることはたくさんあるのですが、まだ整理はつけていないです。整理とは分析という意味であり、自分のスタンスは既にある程度明確ですが。

さて、木村さんの記事やそのトラックバック、および津村さんの記事群を読み返した中でいくつか気になる箇所を挙げてみます。

以前、とあるメーリングリストで、実名で発言している人の本業での仕事ぶりや人間関係などの誹謗中傷を、匿名で発言し続けた人がいました。そんなとき、実名発言している人がどんなに理路整然とやりとりしても、絶対に負ける。

注:実際の引用元はハンドルネームと匿名。ネットではどちらという所だそうです。

「負ける」ということにはならないと思うんですよね。私は論点と無関係な所をつつかれても議論には影響しないと考える人です。どちらかというとそういうことを言い出した人たちのダメさ加減が浮き彫りになる。ただ、匿名の場合、「言い出した人」を人とみなすことが困難であるケースがあるわけですが、言われた「実名の人」の評価や議論の有利不利に影響があるわけではない。本来は…。

問題はこれを「負ける」と思ってしまう、あるいはこれで「勝った」と思ってしまう人々にあるように思うわけです。大きな声(※)しか見ない人々。

※嘘でもインパクトのある内容、とかのことです。マスメディアが得意ですね:p。マスメディアに流されるタイプの人々、と言い変えることもできるわけだ。

問題だけれど解消はし得ない問題ですけどね。せめて啓蒙はしていきたいものです。

匿名性というセーフティネットの中で許される言論の自由とは如何なるものであるべきなのか、あるいは、匿名の方はコミュニティを壊す権利を持っているのか

他の方も突っ込まれていますが、「権利」はないですね。あるいはその行為も権利であるとするなら、「権利」と「権利の侵害」は表裏一体ってことで、コミュニティを継続する権利を侵害する権利は認められない、と。

権利と自由の違いって何だっけ?と思ったけど、あんまり明確に違いを定義している所が見つからない…。こんな感じですかねぇ。

両者の違いは何かと聞かれたら、どう答えるだろうか。なにか気づくことはないだろうか。そう、自由の方が権利より人間の内側というか身近というか根源的というか、とにかく空気のように必要なものだ。何かを考えることを強制されたり、何かを表現することを制限されたり、神や仏を信じることを強いられるはたまらない。こんな当たり前のことが「自由」として憲法に保障されているのだ。

私的には「自由は与えられなくとも存在するもの、権利は他者に認められて存在するもの」といったニュアンスを感じます。ただし、自由は当たり前に存在しても、その結果責任は付きまとう、と。

権利と自由関連でもう一つ。

「勿論、自分の下した判断に対する責任は自分で取る。しかし、与えた命令を正確に遂行する責任は相手にある。」ですが、この言い方は筋が通りません。自分自身の取る責任には自由が伴っています。ですが、命令された相手は一方的に責任ばかりを負わされています。これは命令者の単なる我が儘です。

ふむふむ、我流「自己責任の原則」はこれですな^^;。話が与太ってきたけど、部下に自由を与える責任者って大変ねぇ^^;;。でも、それこそが組織をうまく回らせる秘結だったりするからこれまた大変。

ちょっと戻して、「自由に付いてくる責任」を放棄する手段として匿名が利用されるのは確かなわけですが、匿名の公益を再度考えてみると、「発言に責任を持つほど思考/言語を駆使する余裕/能力が無いが、感じたことを表明したい」人は多数存在します。そういう人たちに権利を与えた。そしてそういう「一部の強者以外の意見」を見ることができるようになった。告発可能性/現場の声といった話ももちろんありますが、これは今回の問題とは関連しないので置いておいて。「思考/言語を駆使する余裕/能力が無い」人はそれができる人と比較すれば「弱者」ですね。さぁ、またでてきましたね。「弱者に与えられる権利の濫用」が。このテーマ、muse-A-muse:儀礼的無関心と「ウザイ」の幼稚性の記事で見て注目していたのですが、その後、圏外からのひとこと(2004-04-21):弱者の特権を権力として濫用する者として記されているのを見て(議論沸騰してますね^^;)、好んでこの表現を使ってます_o_。私的定義としては「弱者への同情や救済を悪用する行為」ですかね。

実名=弱者
実名でものを言えるほど議論に達者でない人=弱者
匿名=強者

ですか。自分は議論も文章も達者でない人で、弱者と思っていますが、特権を過剰に使いたいとは思わないし、自分以上に弱者に相当する人もいっぱいいるだろうと思っています。

いやぁ、書いてるうちに(いつものように-_-)論旨がぐちゃぐちゃになってきた^^;。この辺にしとこ…。

ところで、人に何かを伝えたいという場合、伝わりやすさの尺度の一つとして自身のプライバシーをどれだけだしているか?というのは絶対的に存在します。津村さんがテーマにされているのはそのあたりですかね。その話題はまた別途触れたいところです。

(追記)

自分の主張を全て知ってないと反論すべきではない、ということになっているらしい。

あちらのコメントにも書いたんですが(向こうでは向こうの場に合わせた書き方にしてた)、トラックバックが来ていたことに気づいたので追記&トラックバックを。
この記事では純粋に匿名/顕名/実名をテーマにしているので言及しませんでしたが、元の木村さんの記事にある上記のような主張は、確かに受け入れがたいです。私は「匿名」をテーマにしたネタ振り記事だと勝手に解釈していたので例示の部分は度外視してましたが、切込隊長さんの言うような「中傷ではなく批判として妥当である」という部分は本来最も重視すべきと思っています。ただ、木村さんが例示された匿名コメントは、それだけから根拠が読み取れない多数の人にとっては中傷にしか見えませんので、木村さんの「事実を踏まえた上で主張してもらいたい」という主張を一方的に非難は出来ないですね。「なぜありもしないネタと思うのですか?」という言い方ができればベストと思いますが、匿名者、且つ他人のコメント欄の発言を相手にそれを述べるのもやりにくい気もしますからねぇ。

さて、私は木村さんの記事を「匿名」をテーマにした記事である、と解釈したので、その観点に立つと、引用した記事中で述べれられていることは、そのテーマから外れた論点である、ともいえます(別途話題にして欲しいとは思いますが)。そうすると、今回の隊長(と書く方がやっぱ楽だな^^;)のツッコミは今回のテーマとしては「無視」され得るツッコミだなぁ、と思うわけです。

ある人が話したいと思っている論点に紐付けて自分の言いたい論点を述べるのは相手に逃げ道を与える結果になりやすい、と思ったりする。
(追記)コメントに書いた件も踏まえてさらに。主張の枝葉とはいえ他人に失礼な行為をしたことを指摘された場合、当然それに責任を持って対応する必要があるでしょうね。ただし私は今回の場合は、元の匿名者は根拠を示さず、しかも木村さん本人に向けずに言っており、その点について批判することは一方的失礼にあたらないと思います。

それはそうと、長文が嫌いそうな(と勝手に思っている)隊長がこの記事を読んでトラックバックしたというのがある意味すごい。読んではいないかもだけど^^;。

(追記)どうも木村さんへのトラックバック記事群の中には、「批判/中傷」を区別なく「自分の意見への反論」とみなして「過剰反応」と述べたりする論調が散見される気がします。批判なのか中傷なのか、言い換えると上述したように「根拠があるのかないのか」は最も重要視しなければならないです。批判と中傷をいっしょくたにしてその対応を語ることはできません。また、批判であるか中傷であるかは発信者が決めることではありません。そして、今回例示された匿名の方による発信は「中傷」でしょう。隊長による補足により「批判」足り得ましたが。

また、木村さんや津村さんは論点において「中傷」を前提にしています。そのことが伝わらなければミスリードになりがちなわけですが。自分の記事もどう読まれてるもんだか^^;。まぁ木村さんの例示された「中傷」が匿名ゆえに起こったことではないことは明らかではありますが、元々津村さんが述べているのは、主張と無関係なはずの「相手が実名であるが故の先入観」「相手が匿名であるが故の先入観」が会話/議論に与える影響についてです。木村さんが本筋からずれた具体例を出してしまった結果なんですかねぇ…。元のテーマには影響しないのに。こうやって「細かい部分まで主張し辛くなる」わけですね。

おっと、今見たら木村さんの新しい記事が。
週刊!木村剛: ご批判はできれば直接私に対してお願いしたい
そうですね。あの例示は木村さんを中傷しつつ、結局は中島さんが好きでやっている行為を他人への中傷でもって非難しているようなもので、それを問題視するのは当然ですね。この点は津村さんもそういった主張をされていましたし。「匿名」であるかはあまり関係が無いですけど^^;。

木村さんの論理展開に関して疑問視する声などもあるようで、今回のテーマと例の結びつけ方などはまさにそういうことになってしまったように思いますが、木村さんは誠実ですね。論理展開云々は「人は間違えるもの」なんだからそんなことはあって当然。指摘を受けてどう対応するかが重要ですね。

「あんな行為はカッコわるい」という世論を再確認する機会として利用なさったのではないか。

あぁ、ツッコマブルな記事に仕立てあげたわけですね。まさしく^^;。「匿名」への強引な結びつけに関しては狙ってるともとれますね~。:)
それでも、「自著を読んでから批判」の部分はちょっと穴になってしまったなとは思いますけど、全体としては些細なことですねぇ。

(追記)
週刊!木村剛: モノ書きの老婆心:「匿名性」を護るために
あぁ、これは素晴らしい文章。連続した記事群としてみると論点がずらされたように見えますが、この記事単体はツッコミどころがないです^^;。木村さんの論点は最初からここにあったのかもしれませんが、元の記事からは少々読み取りにくかったですね^^;。
要約すると、「匿名だから中傷したって逃げられるという幻想」に関する話なわけで、これは私も含めて思っている/主張されている方もたくさんいらっしゃったのですが、これほど説得力のある、別の言い方をすると心に響く文章は見たことがないです。きっと話題になりますね。

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2004.04.19

インターネットで「陰口」は叩けない

これから数回に分けて、「批判の受け止め方と批判行為」について書こうと思います。

あらかじめ書いておきます。当記事は感性を否定するものではありませんが中傷を否定するものです。

まず、「批評/批判と中傷の違い」について書いておきます。簡単なことですね。根拠があるかないかです。

人間は陰口が好きなようです。当事者に知らせずに人に関する評価/感想を述べあうという行為は日常的に行われています。ただ、そういう行為全般を陰口とは呼ばないですけどね。通常、陰口とは当人に見えないところで当人の悪口を言う(中傷する)ことであり、当人に聞かれることが後ろめたいと自覚しているような話題を指します。また、特にここでは中傷に該当しない根拠を伴った評価の場合は、当人に見えないところで言っていても陰口とは呼ばないことにします。

私は、陰口は嫌いなので、基本的には当人に聞かれても堂々と対応できるようなことしか言わないように心がけています。例外は、当人の今後の思考/行動に悪影響を及ぼすような内容だが、相談しておく価値のあること、といった場合です。教育をする人の立場を想像すればご理解いただけるかと思います。もちろん中傷のつもりはないのでそれを当人に聞かれても自分は後ろめたくはありません。

さて、web 日記/blog などは「公開日記」であるわけですが、そこで他人を侮辱/中傷するようなことを書いていながら、都合よく「公開」であることの意味を忘れて「個人の日記だから何言ってもいいだろ」といったことを言ってしまう方がいます。

もちろん発言自体は自由です。

でも、内容によっては反論が発生することも必然ですし、何より反論することも自由です。

反論に応えない自由はありますが、反論するなというのはあまりにも周りが見えていない言説です。反論が欲しくないのであればインターネット上に他人への侮辱発言を「公開」してはいけません。「現実世界で普通にしゃべるのと同じくらい気楽に書くんだ」と言っている方、気をつけて下さい。

ネット上に書くということは既に陰口足り得ません。

ここで、反論には、感性/思想の違いから来るものと、事実ではない、あるいはミスリードであるといった指摘があるのですが、前者を不要と考えるのは(多少もったいないこととは思いますが)自由と思います。ここで話題にしているのは後者です。これについては反省すべきでしょう。たまに自分への批判を矮小化するために意図的に混同しようとする人がいます。

日記の中でぼそっと、集団、或いはひどい時は個人を特定できるような言い方で、状況をよく知らないで、或いはメディアの誘導に乗せられて批判を行うということがあります。その行為自体も問題ではありますが、全ての人にそれを駄目だと言うのはあまりに狭量であるとも思います。私もよく調べずに批判的情報発信を行う事もあるでしょうし、説明できない感情の表出も重要な情報だと思っていますから。ただ、批判された側あるいは客観的に見ている第三者が、その批判は間違いである、と指摘/反論することは当然のごとくあり得ます。この反論を指して「噛みつかれた」などと侮辱する人がいます。この勘違いはやめたほうがよいです。たとえ相手に通知などをしていなかったとしても、噛みついたのは自分です。また、批判が発生しないことがあるのは、その言説が正しいからとは限りません。みんな、すべての誤りを指摘して回るほど暇じゃないのです。
(追記)「同意の旨の意見はあった」という多数決論理を持ちだす人もいますが、たまたま自分と同様に専門家で無かったか、単に自分と馴れ合いたい人かもしれませんよ、と。和を保つことと馴れ合うことは違います。これはいつしか別記事にて。

この記事では個人や集団は特定しません。行為を特定しています。思い当たる人でこの主張に間違いが見当たらないと思われたなら、自戒しましょう。この記事の内容が誤りであると思ったなら、どうぞご指摘ください。

なぁんていっても、ここで書いたようなことにもろに該当する人ほど自己正当化が激しかったりするので書いてもなかなか効果がないわけですが。ならばなぜこういう記事を書くかというと、良識のある方が道を踏み外さないよう再認識してくださるという効果はあるからです。本当は自分に向けて/自己の思想の整理という意味が一番強いというのはいつも書いている通りなのですが、教条度を上げて書いてみる実験です^^;。

今「blog で簡単にホームページを」という類いのキャッチコピーに乗せられて参入してくる方は、どれくらいが「全世界に公開」の意味を解っているんでしょうね。それを知らなかった/考えられなかったことは罪では無いと思います。批判を浴びた時に気付けるのであれば。ここで問題点として、騒ぎになるほどに指摘/批判に混じって中傷が現れるのも世の常なわけですが、全てを中傷とみなす自己中心的思考はやめましょう。

ただ、人は本質的に陰口が好き(※1)なわけで、web で陰口を言える仕組み(※2)というのを考えたりしています^^;。私は使いたくないですけど。

※1:私だって、陰口が嫌いと言うのは理性で抑えているのであって、いつ無意識に陰口に該当する行為をしてしまうか解ったものじゃありません。そういうのを正してくれるコミュニティなら属したいですね~。

※2:2ch がそういう使われ方をする場と勘違いしている人が多いですが、2ch でも中傷は嫌われます(ここではネタと中傷の区別というまた難しい問題があったりしますが^^;)。ただ「根拠をうまく説明できないがこう感じる」といった正当かもしれない意見を述べるのに適しているということです。

参考:
思い込み(=レッテル)と批判と紛争

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2004.04.10

思い込み(=レッテル)と批判と紛争

以前 MyClip もした記事「ブログとネットの心理学」に関して。

 公開で何かを記すことは自己説得の効果を持つ。
 この意見には異論もあるかもしれないな、と考えて記したことでも、どこからも異論がないままに過ごされると「俺の考えは正しかったんだ」と思い込むようになることがある。単に無視されている結果であったとしても、無視を賛同なのだと解釈したりする。加えて自分はこういう意見を持つパーソナリティなのだと自分にレッテルを貼ることにもつながる。独り 集団成極化現象みたいなもん。
:
 知識の差が一と百あったとすれば、一のほうは百が何を言っているのかさっぱりわからないだろうし、百のほうは一に何を伝えるにしても背景の知識まで含めて伝えようとするとものすごい手間と徒労がかかるのでどうにもそこまでかまっていられなかったりする。
 触れてもつながれない。違う人とはつながりにくい。
 いきおいブログにおいても似たものが集まり階層・知識のタコツボ化&集団成極化現象が生じる。

そして、お互いにレッテルを貼り合うわけですね~。
批判が無かったからといって、自分の意見が正しいと思いこんではいけません。
また、批判を無視しても私の勝手でしょ、と思いこんではいけません。

まぁ、「いけません」って別に禁止という意味ではなく、するのは自由ですが一般的にカッコわるいだろうってだけですけどね。自分に向けた言葉ですので。価値観の問題と言われればそうでしょうね。他人に迷惑さえかけていなければ。
(追記)
意見が多数に脹れ上がった場合、全ての意見に答える必要はありません。しかしそれを許すのは第三者であって、本人が許してはいけないでしょう。本人は「答えるべきだけれど答えられず申し訳無い」という心意気を忘れてはいけないと思います。それこそが発言に対する責任であるとも。そうしないと、思い込みは進行するばかりです。


で、このあたりの価値観(認識のバックグラウンド)を共にするもの同士がコミュニティ化していったりするわけですが、得てして相手のコミュニティとの紛争の元を発生させるのが、「批判を無視しても私の勝手でしょ」と考える側なのですね。なぜなら紛争の元になっていることを「気付けない」上、指摘を「徹底的に無視」あるいは「ウザイ」という便利な言葉で一刀両断しますから。もちろん百を知る側も一の側を過度に馬鹿にしてはいけないと思います。可能であれば無知を知らせてあげたいところ。でもそう思っていても、「ウザイ」と思われるのならしないですよね。

注意:一/百といった関係はテーマごとにいくらでも逆転しますし変動します。その時自分がどちらがわにいるかを意識する必要があります。そして、「自分は百である」と思いこんではいけません。

「無知」が罪とみなされるか否かには境界線があり、あまりに差があり過ぎるととても教え切れない、それくらいは勉強しておけ、ということになります。この境界線が各自によって異なるのがまた問題で、さらにはその無知に対する指摘方法について、「どのようにするのが親切であるか」の基準も、受け手/伝え手それぞれで異なってしまっている。この両者が紛争無しに理解し合える確率は相当低いといってよいでしょう。

前の記事で予告した「批判への対応」に関するテーマを書く前にひとまずここまでで公開。

なお、私はコンピュータ技術に関しては一応それでご飯を食べているのでプロということになりますが、それ以外に特に「専門」はありません。感覚で書いていますし、誤りもあるでしょう。誤りをご指摘いただけると嬉しいし、それが blog をやっている目的でもありますが、指摘が無かったからといって正しいとは限らない、というのは意識しております。

(追記)
当記事で出した「ウザイ」ですが、これはそう感じた人にとって「ノイズ」であったということです。で、その件に関しては集団コミュニケーションにおけるノイズの定義にて記事を書いています。
当事者からすれば的外れな「ウザイ」という感想こそ「ウザイ」わけです。的を外していないと思うのであれば説明責任を果たすか、それが面倒なら 2ch に行くのが賢明ですね~。
参考:2ch の価値に関するコメント
「2ch の価値」について記事を書こうかな…。

あ、今思いついたこと。
「ウザイ」という感想はいつもメタな視点で語られる
内容そのものは見ないで言う人が多いですね。
あぁ…メタを分析する行為は有用なのになぁ…。

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2004.04.09

対話はいつ終らせるか、あるいは始めるか

皆さんはコメントやメイルでの一対一のやりとりをどのように終らせますか?
私は長くこういったことを続けてきた結果、以下のような指針を使うようになってきています。

  • 余所の blog や掲示板へのコメントは「書きっぱなし」の覚悟で。
    (返事を気にしすぎるのは辛い^^;。メイル通知のあるところでは安心です。)
    自分からの質問を含むコメントの場合は、そこをしばらくはマークします…。返事は過度には期待しません。
  • 自分の blog へのコメントがあった場合、できるだけ何か付け加えて言える事を探して、お返事。
    お礼/報告系/同意の旨の感想に対しては返事を付けないことが多い。
  • 非公開の一対一のやりとり(メイルなど)の場合、暇な時にはある程度会話的に話が続くが、互いの疲れを感じたら、質問以外の部分には答えないようにして収束させる(もちろん相手の疲れを常に察知できるはずもなく、ほとんどは事実上「自分が疲れを感じたら」だろう^^;)。

ちなみに、トラックバックに対しても、それについて反論/補足などがない限りは、大抵そのままにしてます。「トラックバックありがとうございました」とだけ書きに行くことはないです(もちろんありがたいと思っています)。これは、私自身がそういったメッセージを(特には)欲しいと思わないからです。一言でも補足なり何か必要と思った時は、相手先にコメントするか自分の記事に追記します。別記事を書く事もあるかもしれませんが、今は「記事」の価値を重視するやり方に切り替えたので、可能性は低いです。これは相手に対して失礼と思う気持ちとのジレンマもありますが。木村剛さんのゴーログはその点本当にうまいですね~。


上記は、私の情報重視という価値観から来るものであり、儀礼的にはお礼だけであっても表明したほうがいいだろうなぁ、とは思います。ML のようにメッセージが参加者全員に強制的に届くツールでは、お礼だけのメッセージは煙たがられていますが、blog の場合はそれとは状況が違いますもんね。私は ML 文化を引きずっているともいえます。
ただ、もう一つの理由として、儀礼的な会話が続くのは私だけでなく相手にとっても苦痛であるだろうとも思います。もちろん話題が広がる/遷移していくことを言っているわけではありません。むりやりひねり出した応答が続くようなケースです。そのようなケースでは会話をうまく終わらせることこそ儀礼的であると言えるのではないでしょうか。
なんて書きつつ、いつも「無視されたと思われてないかなぁ」なんて気にしている小心者なんですが^^;。

皆さんはどのようなポリシーでしょうか?リアルの会話ではどうでしょうか?


元々、対話は労力がかかります。文章での対話だとなおさら。いろんな所を見て気にかける人が増えてくると、特定の人にかけられる労力がどうしても減ってしまうので、自分のところにいつもコメントを付けてくれていたあの人が最近はコメント付けてくれないなぁ、なんてことは日常的に起こりますね。これはコメントに限定せず、単に「連絡」と言っても同じことです。

いつも自分の活動を見ている人であっても普通はコメントを付ける(声をかける)という行為に飽きてくるものと考えます(他の関心事との兼ね合いの話です)。少なくとも同じ人だけにコメントを付け続ける人はいません(興味は拡大/変化するものだから)。懇意にしていたサイトには、儀礼的にたまには何か言わないと悪いという気になってしまうことも、苦痛の元になるはず。そうすると、(対象を限定して言及可能という意味での)身元が割れる立場でコメントを付ける事には抵抗がある人もいるかもしれません。繋がってしまうという抵抗が。

もしこれが全体に適用可能な論だとしたら、もったいないことだと思います。本当は、抵抗なく感想を書いていただいたほうがみんな嬉しいはずです。

どうすればいいのでしょう?

そのような事を考えた末、出てきた答えの一つが冒頭のポリシーであったりします。男性的である、とは思いますけれど^^;。
しかし、おそらく私だけがそんなポリシーだと言ったところで、儀礼的な返事を要求する人は絶対に存在します。
特に儀礼的なコメントをまめにしている人/会話自体が楽しいというタイプの人からみれば、腹立たしいということもあると思います。はい、正直、すみません_o_。心の中ではいつも感謝感謝です。

あと、「返事」ではなく、自分の言説に対してコメントを欲しいという立場で意識することは、こちらで書いたのですが、基本的に自分の魅力不足と捉えて精進するのが吉であると思っています。まぁ、私の所がコメントが多いかどうかは何ともいえないですが、私が儀礼的コメントをあまり書かないことは客観的に見て、コメント率を減らしているだろうなぁ、とは思います^^;。真意としては、儀礼にこだわらず、気楽に書き捨てていただいて構いませんです、という立場のつもりなわけです。

全てに対して何らかの応答をする方は素晴らしいと思っています。私はあくまで立場として、それが逆に、感想を書き辛くさせる可能性があることと、自分の労力との兼ね合いでこのようにしているというだけです。

もう一つ、「批判的コメント」の受け取られ方についても触れたいのですが、これは別の記事で書こうと思います。

参考:
muse-A-muse:儀礼的無関心と「ウザイ」の幼稚性
批判の受け取られ方について触れられています。別記事で再度トラックバック予定です。
it1127の日記 : ■思いのままに33
コメント数の増減に関して。
Web では共感を探しているのであってコミュニケーションを探しているのではない
コメントを付ける人の絶対数が少ないことは必然。

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