正当と不当
最近の私の興味はここにあったんだなぁ、きっと。
「批判と中傷の区別」のテーマでもそうだけど、価値基準とか「リベラルって何?」とか。
そして、ずっと思っていることは、
いつも一部の人の悪い行いの方が目立ち、悪い行いの方がレッテル化する
ってこと。「悪い行い」は「悪い側面」とさらに一般化することもできるけどどんどん当たり前な文章になるからこんな感じで。人間として普遍的なことなんだろうけど日本では特にそれが顕著らしいという話もそこかしこでされてますね。その辺は「褒めず、叩く文化」があるのかもしれませんが、定量的に観測してる所はあるんかいな…。
レッテル視を指摘して、該当しない人を擁護したって全体としての評価の流れはほとんど変わらないのが現実。
この記事で言っている「悪い側面の過剰なレッテル化」だって、そうなるまいとする人も当然多数いるのに、全体としては変えようの無い事実であり、これからもまだまだ変わらない。「変わらないだろう」というレッテルが嫌だから「変えたい」と思ってるけど。
「自由の意味を履き違える輩」と、「考えることができない人」がこのスパイラルを後押しするんだよなぁ。「自由」を求める人の中に、正当な自由と単なる我が侭を求める人がいて、我が侭だけの人と、我が侭な人の意見ばかり見えてしまう人のせいで正当な自由まで要求できなくなってしまうような構図。
そうそう。最近まで知らなかったのですが、東浩紀さんの「動物化」というキーワードは、この「考えることができない人」のことを言っているらしいですね。
週刊!木村剛: モノ書きの老婆心:「匿名性」を護るために
に感銘を受けて独り言。当然この話題だけではなく、Winny の件や人質事件や、その辺のネット上にいる大きなお子様との対話なども踏まえて。あ、リンク先に関する言及は実名/顕名/匿名の得失にも追記してます。
(追記)
まだ見てくださる方が当分いらっしゃりそうなので、ここに追記します。
スパイラルという所だけに反応してですが、こういった構造について、
圏外からのひとこと(2004-05-17):いまお互いの信用という面で負のスパイラルに落ちっていると思うよ日本
という言葉が。注:言葉を発したのは名無しさんです。
是非、リンク先まで見に行ってみてください。
あと、「自由を履き違える」に付いても付記します。
このような文脈での「自由」は、「不条理な規制/強制からの脱却」を意味しています。「自由」を「何をしてもいい」という意味に捉える方がいらっしゃいますが、それが誤りということです。「言論の自由」は何を言ってもよい、という意味ではないでしょう。「言論の規制は許されない」という意味でしょう。同義のようにみえますが、ニュアンスの違いが解りますかねぇ?「自己責任」の俺様定義でも触れたけど、自分を許したり、他人を糾弾するために用いる言葉じゃないと思う(思いたい)わけです。


Comments
コメントとしてこそっと書いとこう。
議論の流れで不当に不利な状況になるケースでは、ほとんどの場合「味方が敵」になっている
一部の人が過激に無根拠に相手を攻撃しはじめ、正当な論調がかき消されていく。そして相手の不当な当初の論調が「こんな輩が現れるから正しかったんだ」と認識されるようになったりする。やっぱり誠実さの欠けたほうが負け。でも、不当な相手は必ずといっていいほど誠実さを踏みにじろうとする(主に無理解という方法で)。これが実感。
Posted by: Shin | 2004.05.13 at 12:05 PM