我が侭の増幅、あるいは不感症
批判/批判の受け止め方関連その2です。後でまとめようと思っていますが、インターネットで情報発信する際の勘違い集という形で挙げていっています。まぁたいていのことはインターネットに限定されませんけど。
自分の自由を主張することには躍起であるが、他人の自由なんて知ったこっちゃない、という考え方は世の中にそこそこはびこっているといえるでしょう。我が侭です。我が侭には論理や感性による説得は通用しません。他人の痛みが解らないからですね。それもひとつの感性ではあるわけですけれど。
以前、「なぜ人を殺してはいけないのか?」という思考実験に少し参加したのですが(その結論は当然の如く出ていないのですが^^;)、「(自分は死にたくないけど)人を殺したってべつにいいでしょ?」「殺したいから殺したんだよ、なぜ悪いんだよっ」みたいな人にどうすれば理解してもらうことができるでしょうか?
「自分は死を恐れていないから」どころではなく、何をどう言っても他人の痛みを実感することができないタイプ-_-。
もちろんここまでの人にはなかなかお目にかかれませんが、インターネットでは現実世界よりもタガがはずれる傾向があるらしく、これに近い無理解も見つけることができたりします。旅の恥はかき捨て、インターネットの恥は書き捨て、ですね。(追記)やべやべ、字、間違えてた^^;。書き捨てないようにしよう。
私的な「大人」の定義のひとつとして、以下のようなものがあります。
小さい頃は他人の痛みを知ることができなかった。
大人になると他人の痛みも知るように、あるいは知らなければならないようになる。
そして今は、大きくなっても他人の痛みを知ることができない大きな子供が増えつつある時代。
恥をなんとも思わない人がいます。それはそれで何かを生み出す能力に転化させている方もいらっしゃるし、私から見ればすばらしいことと思ったりもするのですが(私は本質的にはたぶん臆病者^^;)、恥だけでなく他人の痛みまで忘れないようにしたいですね。
インターネットでわりと見かける「他人を中傷していることに(言われてもなお)気づけない人」は、「いじめをする人」と同じ心理な気がします。「からかってるだけだよ/ネタだよ。何でごちゃごちゃ言うんだよ。」と。そういう人に気づかせようとしても、きっとしらけられるだけなのでしょうね。


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