面倒をみるより自立を促す
人間は心の奥底で教祖様を欲しているように思う。
神様もそうだけど、いわゆるカリスマの元に集まってコミュニティを形成しようとすることもよくある。
私は神様も宗教も大嫌いな「自分で切り開け」君であり、「人を尊敬はすれど傾倒はしない」をモットーにしている。
その理由は、「俺についてこい」系のカリスマは、自立への妨げになると思っているから。
あるいは単に他者に依存していると、いなくなった、或いは裏切られた時に見動き取れなくなるのが嫌なだけかもしれない。
カリスマにはいくつかの種類がある。
直接のコミュニケーション無しでも羨望の目を向けられる何らかの能力者。
特別な技能があるわけではないが大衆の共感に訴えるのが得意なコミュニケーション強者。
救いの手を差し伸べようとする神様タイプ。
この世の中で生きていくためには人心の掌握は大変重要であり、教祖様(カリスマ)になれる人が得だ。
自分もそれは努力目標の一つとしている。
しかし、たとえそうなれるのだとしても、人の面倒を見てやると言ってしまうようなカリスマにはなりたくない。人が自分の力で自分のしたいことを成し遂げられるように、小さなきっかけを与えられる人間になれたらと思う。
自分や自分のアイデアが受け入れられるかを一生試す。
人をコントロールしようとしたらだめだ。
でも、世の中にはコントロールされたがっている人も多い…。


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